成功のイメージが、夢を叶える。

機関車と野球が大好きな、ある子供の話

私たちの脳は、常に、さまざまな情報の入力、そして、それらの多くの情報を保持し、記憶しておくべきことと、そうでないことの仕分けを行い、さらに、思考や判断のうえで、行動という出力へというように働きます。

そして、例えば「夢」という情報が入力されると、その情報が揺るぎなく、具体的ものであればあるほど、その達成に向けて、自動的に働いてくれるのも、脳の大きな力の一つです。

1923年に、コロンビア大学内科・外科カレッジで医学の博士号を取得したマクスウェル・マルツ博士は、人間は、「成功への自動誘導システム」を持っていると述べています。

 

今回は、機関車と野球が大好きだった、ある子供のお話です。

 

ピート・グレイは、1917年3月6日、ペンシルヴェニア州東部のナンティーコークで生まれました。その当時、ナンティーコークは炭坑町で、ピートの生家の近くには、鉄道の駅がありました。

町の子どもたちにとって魅惑的な存在は、駅に出入りする蒸気機関車でした。ピートもまわりの子どもたちと変わらず、大の機関車好きであり、ピートは機関車と同じように、いやそれ以上に野球も大好きなごく普通の子どもとして育ちっていました。

ある日、父親に連れられて、大リーグ・ニューヨークヤンキースの試合を見に行くと、ピートの大好きな選手が逆転ホームランを打ち、ヤンキースが見事快勝しました。そして、この日から、ピートは大リーガーになることを夢見て努力を始めることになるのでした。

しかし、6歳のときに遭ったある事故により、野球を断念しようと思うようになってしまったのです。

ある日、ピートが「ぼくは、もう大リーガーにもなれないし、ヤンキー・スタジアムで野球はできない」と父親に言うと、「何を言っているんだ。やる気になればできないことはない。あきらめるな!やればできる!」と父親は、ピートを励まし続けました。

挫折との戦い、苦悩の日々の連続

ピートは、地元の炭坑チーム、といっても草野球ですが、野球チームに入りました。しかし、練習には参加できず、球拾いやバットボーイの日々でした。

そして、ピートが目指すアメリカ大リーグの世界は、Dリーグ→Cリーグ→Bリーグ→ルーキーリーグ→Aリーグ→2Aリーグ→3Aリーグ→大リーグと、厳しい競争に打ち勝ち、注目されなければ、決して大リーガーにはなれません。

それでもピートは、夢に向かって練習の工夫と、人に負けないくらい、ひたすらに努力を続けました。

その後、24歳の1941年、ピートはニューヨークに出かけ、セミプロ球団ブッシュウィックスの入団テストを受け、見事合格しました。

その噂が広まり、1942年には、マイナーリーグのスリー・リバースとの契約をし、プロの道がいよいよ始まったのです。

ピートはその後、好成績を残し、ついに1945年大リーグ前年度優勝チームのセントルイズ・ブラウンズ(ボルチモア・オリオールズの前身)が、契約金2万ドルで、ピートを採用したのです!

夢の舞台に・・・

そして、ピートは、とうとう「夢にまで見た大リーグでの初打席」を迎えることになりました。

しかし・・・・。

ピートのバットは、大きく3回、空を切り、残念ながら、夢の大リーグ初打席は三振に終わりました。

ところが、なんということでしょうか。

スタンドでは「鳴り止まぬ拍手」と「スタンディングオベーション」につつまれたのでした。

 

ピートが野球を断念しようと思った、6歳のときの事故とは…。

 

6歳のある日、ピートは、いつものように駅の柵に寄りかかり、大好きな機関車を見ていると、それに乗って遠くに行きたいという強い誘惑にかられたのでした。

都合よく、駅を出てすぐの場所で、さほど速度も出ていない機関車がやってきたので、ピートは誘惑を抑えきれず、列車に飛び乗ろうとしました。しかし、不運にも列車から振り落とされ、線路に投げ出されてしまいました。

この事故のせいで、ピートは、その日の夜、手術をすることになり、腕のつけ根だけを残して、右腕を切断されてしまいます。これが、彼が6歳のときのとても不運な事故でした。

鳴りやまない拍手は、そんなハンディを背負いながら、大リーグまで登り詰めたピートに対する、スタンドからの心からの敬意と、賞賛の拍手とスタンディングオベーションだったのです。

決してあきらめない心

ピートは、2002年6月30日、85歳の生涯を終えることになりました。

彼は、次のような言葉を残しています。

 

「私の子どものころの夢は、ヤンキー・スタジアムで野球をすることでした。そして、それを叶えられたことが、自分の人生で、もっともすばらしいできごとであったと思います。自分のような、体に障がいを持つものにとって、練習こそがすべてでした。でも、たとえ練習しても、自分にやってくるチャンスはわずかなものでした。

あるときこう言われたことがあります。「両方の腕があっても野球をするのが難かしいのに、片腕で野球なんかできるわけないだろう!」それでもあきらめず、自分は常に夢に向かって練習したのです。最後に私のいちばん好きな言葉を贈ります。」

 

“A winner never quits. ”

勝利者は決してあきらめない

(ピート・グレイ)

 

ピートは、子どもの頃からずっと強く夢を抱き、その夢を日々イメージし、頑張っていたに違いないでしょう。そして、家族の助けや周りの人々のさまざまな協力も得ていたことでしょう。

彼の脳は、成功への自動誘導装置をフルに活用していたに違いありません。

参考文献

知ってるつもり?!1 運をつかんだ努力家たち(日本テレビ放送網株式会社)
感動ムービーvol.1 「Pete Gray」(株式会社アビトレ)