【目からウロコ!】七田式教育の代表 七田厚が語る幼児教育「その時、父は…」第5回 七田厚

私をやる気にさせた父の一言

小学校低学年のころ、年始のあいさつのため、両親に連れられて、N家を訪問したことがありました。N家のご夫婦は、父(七田眞:七田式教育創始者*)と母の仲人を務めてくださった方々なのです。

そのお家はたいへん風流なお家で、「ごめんください。」と、父が玄関の引き戸を開けたとき、中から百人一首の札を読む声が聞こえてきました。

ご縁のある方々が集まられて、百人一首のカルタ取りの最中だったようですが、奥さまが出て来られて、「こうちゃん、また大きくなったねぇ。」みたいなことを言われました。

その時、父はなんと言ったでしょう?

百人一首、やってみない?

この子も、近ごろは少し、カルタを取るようになったんですよ。」と、そのころ、父と一緒に取り組み始めた百人一首のことを言ったのです。でも、奥さまは、7歳ぐらいの私と百人一首が結び付かなかったようで、「はなよりだんご」式の普通のカルタのことだと思われたようでした。

それに対して、父が特に訂正をしなかったこともあり、私は何も言いませんでしたが、内心、幼く見られたようで悔しかったことを覚えています。

そして、来年のお正月までにしっかり覚えて、今度来た時には大人の中に交じって、どんどん取って「すごいねー。」と言わせたい!という気持ちが芽生えたのです。

そんな負けず嫌いの子供だったのですが、父はこの一件の少し前に、「百人一首っていうカルタがあるんだけど、やってみない?」と、取り札を並べて私に見せてくれました。

私は、「ゐ」や「ゑ」などの見たことのない字を見て、また、「けふ」と書いて「きょう」と読むという話に驚き、たいへん興味を持ちました。そして、「読み上げられる上の句を聞いて、下の句の取り札を取る」というルールを知り、父から手ほどきを受け始めました。

十八番(おはこ)を持ちなさい!

百枚のうち何枚かは、「これを読み上げられたら、絶対に自分が取るという、十八番(おはこ)を持ちなさい。」ということも教えられました。たとえば、「むらさめの…」と読まれたらすぐ、「きりたち…」の札を取るという具合に。

そして、上の句を聞いて下の句が言えるように練習をし、また、取り札を見て上の句が言えるように、少しずつ練習を始めました。そうして何枚か取れるようになったころ、たまたま冒頭のようなやり取りがあって、私のモチベーションが上がったというわけです。

ある程度覚えたら、父が上の句を読んで、私が取るという実戦形式で進め、読み終わった時、私がまだ取っていなかったら、父も、取っていいというルールで、緊張感を持って、何度もキョロキョロと札を探したものです。

 

私も、親になってから、子供たちに百人一首の手ほどきをしましたが、ほんの2~3回しかしてやれませんでした。

でも父は、そういうことを面倒くさがらず、よく相手をしてくれたのです。

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七田眞:七田式教育創始者
現在では、世界14か国に広がる「七田式教育」創始者。著書は200冊を超える。