【目からウロコ!】 七田式教育の代表 七田厚が語る幼児教育「その時、父は…」第26回 七田 厚

9年かかった運転免許

東京で大学生活を始めた年、父(七田眞:七田式教育創始者*)から「夏休みに車の免許を取ったら?」と勧められ、帰省して、地元の自動車学校に通い始めました。

 

仮免までは割とスムーズに行ったのですが、夏休み中に取り終えることができず、冬休みにまた帰省して、その続きをすることになったのです。

 

冬休みになり、再び自動車学校に通い始め、最後の路上試験に合格すれば卒業というところまで行きました。

 

しかし結果は不合格で、再試験を受けることになったのですが、もう後期の授業が始まるという状況で、その日の講義を欠席するともらえない単位があると知り、途方にくれました。

 

それを聞いて、父はどうしたでしょう?

 

 

ラストチャンスの日に、まさか・・・

父は自動車学校に事情を話し、東京の自動車学校に転校の手続きを取ってくれたのです。

 

学課はすべて履修し、仮免許は取得していること、後は、最後の路上試験に合格するだけ、そういったことが転校先の学校に伝えられました。

 

初めてその学校に行った時、教官が、「島根じゃあ、車線変更とかあまりやっていないだろうから…」と、路上教習を一からやり直すことになりました。

 

10時間の教習を済ませ、後は試験場に行き、試験に受かればよかったのですが、仮免の有効期限が半年ということで、チャンスはほとんどなかったのです。

 

そして迎えた大事な試験の日、なんと私は寝坊して試験に遅刻してしまい、会場に着いた時には、筆記試験が始まってだいぶ時間が経っていました。

 

しかし、19歳の私にはダメもとで部屋に入って行く勇気はなく、とぼとぼと会場を後にしたのでした。

 

責められなかったからこその猛反省

父が自動車学校に払ってくれたお金と、これまでかけてきた時間を思うと、あまりにも空しく、また、父に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

 

しかし、そのことを父に伝えたとき、父は私を責めませんでした。

 

「もったいないことをして…」としかられると思っていただけに、この父の対応は、逆に私の心に突き刺さりました。そして、こんなことを繰り返してはいけないと、深く反省したのです。

 

卒業後、里帰りした私は、大学時代に通った自動車学校に9年ぶりに、今度は自分のお金で通い、免許を取得しました。

 

それにしても、学生時代、父にはいろいろと迷惑をかけたなぁと思います。

 

そして、義務教育が終わった子供たちの学費や生活費にお金がかかるようになった今、父の気持ちをしっかり味わっています(笑)。

 

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七田眞:七田式教育創始者
現在では、世界15か国に広がる「七田式教育」創始者。著書は200冊を超える。