【目からウロコ!】七田式教育の代表 七田厚が語る幼児教育「その時、父は…」第3回 七田 厚

レッスンのない日には・・・

父(七田眞:七田式教育創始者*)は、私が子供のころ、自宅で英語教室を開いていました。

毎日、夕方から始まって、遅い時には10時過ぎまでレッスンがあり、土曜日も日曜日も、お休みではありませんでした。

そのうえ、車もなかったので、わが家では、家族で一緒にどこかへ行くとか、何かして遊ぶ時間はなかなかとれなかったのです。

でも、たまに、次のクラスは修学旅行で誰も来ないというようなときには、父は、私たち三人の子供に声をかけてくれました。

その時、父はなんと言ったでしょう?

子供の好奇心を刺激する

「みんな、勉強部屋においで~。今日は、特別なレッスンをするよ~。」と言ったのです。

勉強部屋とは、英語のレッスンをする部屋のことです。そこには黒板があり、十数名が座れるようになっています。

父は、私たちが幼児のころは、一人ずつ、その部屋に呼んで、毎日20~30分の取り組みを一緒にしていましたが、小学校に入学してからは、英語以外で、父の方から勉強しようと声がかかることはありませんでした。

そこが、まさに、七田式教育の意図するところで、幼児期に一日20~30分の取り組みを一緒にする目的は、「小学校に上がってから困ることのないように、幼児期に学習の素地を身につけさせる」ことなのです。

そして、小学校に上がってからは、子供たちそれぞれの自主性に任せ、勉強しなさいとは、一度も言われたことがありませんでしたから、この「特別なレッスン」は、本当に特別な時間なのでした。

どんなことを教えるかというと、ある時は、速算法講座だったり、またある時は、中国語講座だったりしました。

速算法とは、たとえば、「32×38の答えは、3にそれより1多い4をかけて12、そして2×8=16を続けて書いた1216になるよ。」などというものでした。

子供のころに蒔いた種が発芽する

その時、父から「速算法の種」を蒔いてもらった私は、その後、算数への興味が深まり、後年、いろいろな速算法を紹介している『七田式 頭が鋭くなる大人の算数ドリル』の出版につながりました。

中国語は、未だできるようにはなっていませんが、その時、蒔かれた「多言語の種」は、大学生になってから発芽しました。

大学時代、私は、英語は履修せず、ドイツ語とフランス語を選択し、ロシア語もかじりました。多言語サークルに入って活動し、毎週土曜日には、韓国語の家庭教師に来てもらい、ハングル文字も読めるようになりました。

幼いころ、親が子供にいろんな種を蒔いておくと、発芽する可能性があるんですよね。もちろん、すべての種が芽を出すわけではありませんが、少なくとも、蒔かぬ種は生えません。

子供がどんな芽を出すのかは、後々のお楽しみということにして、いろいろな刺激を与えてみてはいかがですか?

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七田眞:七田式教育創始者
現在では、世界14か国に広がる「七田式教育」創始者。著書は200冊を超える。