【目からウロコ!】七田式教育の代表 七田厚が語る幼児教育「その時、父は…」第4回 七田 厚

私を変えた1本の電話

七田家のルールの一つに、「高校時代は寮生活をする」というものがあります。

男子校に進学した私は、高1の時、2回目の部屋替えで二人部屋の相棒となったKくんの行動に驚きを隠せませんでした。

夜7時から9時の自習時間中、毎日違う友達を部屋に呼んで、一緒に遊ぼうと、とにかく私に勉強をさせないのです。

それが1週間も続いたので、私はある夜、「このままでは成績がガタ落ちになるから、下宿しようと思う。」と、父(七田眞:七田式教育創始者*)に電話で伝えました。

その時、父はなんと言ったでしょう?

勉強より友達作りのほうが大事

「何を言っているんだ。確かに成績は下がるかもしれない。でも、勉強は、自分がやる気になったら、いつでも取り返しができる。だけど、友達を作るのはそんなに簡単じゃないよ。」って言ったんです。

そして、「友達の方から仲良くなろうと言ってくれているんだったら、いっそのこと、寮の人みんなと友達になりなさい。」と。

まさか、そんな言葉が返ってくるとは思わなかった私は、鳩が豆鉄砲状態でした。

しかし、考えてみると、私たち兄弟は、「『わがまま・いじわる・うそ・はんこう(反抗)』に当てはまるときは叱るけど、そうでないときは叱らないよ。」と言われて育ったのでした。

 

確かに、「成績が悪い」は、叱られる基準には入っていなかったのです。じゃあなぜ、私はいい成績を取ろうとしていたのでしょう?

いい点を取ると親からほめてもらえるので、習慣化して、いつの間にか、「いい点を取らないといけない!」にすり替わっていたのかもしれません。

とにかく、父にそう言われて、ずいぶん気が楽になった私は、性格がすっかり明るくなりました。

あの電話が、私のターニングポイントとなったのです。

得意科目を作りなさいよ

それ以後、成績は下がりましたが、次の年、寮の自治委員長に選ばれたりして、人望は上がったようです。何しろ、小学校の児童会長の選挙でも、中学校の生徒会長の選挙でも落選し、それまでの当選確率は0%だったのですから…。

「もし、過去に戻れるとしたら、いつがいい?」と聞かれたら、迷わず「高校時代!」と答えるくらい、その後の寮生活には楽しい思い出がいっぱいできました。

一方で、父から、「『これだけは誰にも負けない』という得意科目を作りなさいよ。」とも言われていたので、友達付き合いも大事にしながら、数学だけは、誰よりも勉強しました。

大学に入ると、周りの人間関係がガラリと変わり、初めて一人暮らしを経験するわけですが、すぐ、サークルに入り、誘われた飲み会は皆出席、夏の5泊6日の合宿にも、毎年フル参加するほど、積極的に人と関わり、部長も務めました。

付き合いが良すぎて、留年もしましたが、社会人になってからの二十数年間を振り返ってみると、あの時、あのアドバイスをしてもらって本当に良かったと、父に感謝しています。

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七田眞:七田式教育創始者
現在では、世界14か国に広がる「七田式教育」創始者。著書は200冊を超える。