【目からウロコ!】七田式教育の代表 七田厚が語る幼児教育「その時、父は…」第21回 七田 厚

菜食主義のワケ

父(七田眞:七田式教育創始者*)は20代後半から菜食主義を通し、肉や魚・卵など、動物性のものは一切口にしない人だったのですが、それには大変な理由がありました。

 

実は、父を生んでくれたお母さんは、父が1歳の時、当時、不治の病と言われていた結核のために亡くなったのです。

翌年、お父さんが再婚され、父は新しいお母さんに育てられたのですが…。

 

そんな父もまた25歳のころ、結核と診断され、2年くらい、闘病していたのです。

ある日、襖を隔てた隣の部屋で、往診に来られたお医者さんが、「(息子さんは)あと、1、2か月でしょう」と両親に言っているのを聞いてしまいました!

その時、父はどうしたでしょう?

本好きだったから!

「よし、医学が見離したのなら、自分で自分を治そう」と決心したのです。

 

父は、日々、ただ寝込んでいたわけではありませんでした。読書家だったので、病床にあって、「人は病気では死なない」「治らない病気はない」といった題名の本を読んで、「あと、一週間の命」と言われても、そこから甦る人たちがいることを知っていました。

 

そして、自分で注文して取り寄せた『人類病死の原因について』という本に書いてあることを信じ、実践していったのですが、その本に、人類病死の原因はたんぱく質の余剰摂取にあると書いてあったのです。

 

余剰のたんぱく質が病菌を養う原因になっているので、それを断てばよいという理論でした。野菜や穀物は食べてもよいのです。また、筋肉を積極的に鍛えるのがよいとされていたので、このころからずっと、父は毎日、バーベルを上げていました!

 

その時、父が決して諦めることなく、死の淵から蘇ってくれたからこそ、後に私が生まれ、七田式が生まれることになったのです!

人は自分が想像した通りの人生を送る

それは、生きるか死ぬかの瀬戸際になって真剣に読んだ、その本のおかげなのですが、それ以前に、たくさん読んだ本の中で、いちばん心に残った言葉…「人は自分が想像(イメージ)したとおりの人生を送るようになる」という言葉にも、大いに勇気づけられていたのです。

 

「これからの未来は、今、私がどう想像するかにかかっていると知っていたから、少しも死ぬ気がしなかった」と、父は自伝に書いています。

 

この時、もし、父が亡くなっていたら、私が生まれることはなく、七田式もなかったと思うと、父を本好きに育ててくれた祖父母に感謝するしかありません。

 

幼児や小学生の時にたくさん読み聞かせをしてあげて、お子さんを本好きにしてあげることって本当に大切なことですね。本との出合いによって、生きるための知恵を得ることができるのですから。

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七田眞:七田式教育創始者
現在では、世界14か国に広がる「七田式教育」創始者。著書は200冊を超える。