【目からウロコ!】七田式教育の代表 七田厚が語る幼児教育「その時、父は…」第13回 七田 厚

夏休みの研究の思い出

夏休みの研究の思い出シリーズ、最後は私が中3の時の話ですが、その前に、私の二男が小5の時に取り組んだ「ナンバープレートの研究」について、ご紹介します。

 

私が息子を手伝ったのは、「富士山ナンバー」など、100種類以上ある日本のすべてのナンバープレートの写真を撮って回ることでした。

 

広島・京都など、息子を連れてあちこち行きましたが、羽田空港の駐車場でいちばんたくさん見つけることができました。北海道のナンバープレートだけは、どうしても何枚か見つけることができませんでしたが、その旅は、息子との良い思い出になりました。

 

さて、私の話に戻します。中3の夏休みが始まると、父(七田眞:七田式教育創始者*)はまた、突拍子もないことを提案したのです。

 

中3の時、父のした提案とは…?

 

江戸時代の子供が寺子屋で学んでいた「和算」

それは、和算の研究をしてみないか、という提案でした。

 

その時、「和算」と言われても…と思ったと思うのですが、当時の私は数学の先取りに夢中で、中3の時に高校の数学をかじったりしていたので、父が水を向けてきたのでしょう。

 

「和算」とは、日本で独自に発達した数学のことですが、現在は、お目にかかることがあまりありません。しかし、江戸時代には子供たちが寺子屋で習っていた計算法で、鶴亀算や旅人算、また、油分け算など、いろいろなものがあります。

 

たとえば、油分け算とは、ちょうど1升(10合)入るマス、7合入りのマス、3合入りのマスの3種類の器だけを使って、1升の油を5合ずつに半分に分ける、といったようなことをします。

 

頭の体操みたいで面白いので、「七田式小学生プリント」の「算数4年生」に、少し出題させていただいています。

 

子供が興味を持っていることを伸ばす

それで、その年、研究した内容についてはあまり覚えていないのですが、中学3年間を振り返ると、毎年、父自身が興味を持っているテーマを薦めていたことがわかります。親が興味のあることでないと、手伝うことは難しいですものね。

 

私が数学好きになり、大学は数学科に進み、『大人の算数ドリル』という本を書くことになったのも、もとはと言えば、そこに至るまで、父からのいろんなアプローチがあったからこそなのです。

 

父自身が興味を持っていた速算術を、小学生の時に少し手ほどきしてもらったことで、私も興味を持ち、日ごろからそのように計算していたため、友達のお母さんから、「どうしてそんなに計算が速いの?」と言われたこともあり、算数に自信を深めていったのです。

 

その後、中学受験で、自信を持っていた算数ができなくて自信喪失したりして、紆余曲折はありましたが、一喜一憂する私をなだめたりすかしたりしながら、父は導いてくれました。

 

その基本は、子供が興味を持っていることを伸ばしてやるという姿勢だったのです。

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七田眞:七田式教育創始者
現在では、世界14か国に広がる「七田式教育」創始者。著書は200冊を超える。