【目からウロコ!】七田式教育の代表 七田厚が語る幼児教育「その時、父は…」第27回 七田 厚

安定収入の道を捨て、新たな事業にチャレンジ

父(七田眞:七田式教育創始者*)が、英語塾をたたんで会社を興し、「七田式」の幼児教育理論を世に提唱し始めたのは、私が高校生になった年のことでした。

 

その後、私が東京の大学に在学中に、父は新宿のマンションの一室に東京オフィスを開設し、私も下宿から引っ越して、そこに住むことになりました。

 

そのころ父は、毎月上京し、母親スクーリングということで、お母さん方の子育て相談を受けたり、妊婦さんの集まりに招かれ、胎教の大切さを説いたりしていました。

 

一方で、上京する度に本をたくさん購入し、また、自らの学びのために、時々、高額な潜在能力開発のセミナーを受けに行っていたのですが…

 

その時、父はどうしたでしょう?

 

 

将来の可能性を考えて・・・

「お父さんは、いついつ、こういうセミナーを受けに行こうと思っているんだけど、あなたも行ってみない?」と、大学生の私をよく誘いました。

 

「あなたも来なさい!」と命令するのではなく、「お金はお父さんが出してあげるから行ってみない?」という提案なのです。

 

私も、まったく興味がなければ、誘われても行かなかったと思うのですが、面白そうだなぁと思い、3~4日続けて通うセミナーとワンデーセミナーを1回ずつ、父と一緒に受講しました。

 

そのころ、私はまだ、父の跡を継ぐとは言っていなかったのですが、父は、将来の可能性を考えて、私を連れて行こうと思ったのかもしれません。

 

実際、その2回のセミナーでの体験は、私にとって衝撃的であり、かけがえのない経験となりました。人間の能力について、深く考えるきっかけとなったのです。

 

わが子の将来に思いを馳せたアドバイス

父はまた、私が30歳になるころ、「将来、人前で話をすることが多くなると思うから、今のうちに歯をしっかり治しておいた方がいい」と、アドバイスしてくれました。

 

そして、それから毎月、3年以上かけて、単なる虫歯の治療ではなく、口の中がきれいに見えるようにするため、島根から東京まで歯医者さんに通いました。

 

私はそのころ虫歯だらけで、口の中を人に見られるのがとっても嫌でした。人前で話をする時には、口をあまり開けないようにして、もごもごしゃべっていたのです。

 

時間とお金はかかりましたが、おかげで、そのコンプレックスが解消し、父に大変感謝しています。ちなみに、車一台買えそうな治療費は自分で払いました(笑)。

 

改めて振り返ってみると、子供の将来のことを案じて、いろいろ手を尽くしてくれた父だったなぁと思います。

 

「わが子の将来に思いを馳せた提案とアドバイス」、私も心がけていきたいものです。

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七田眞:七田式教育創始者
現在では、世界15か国に広がる「七田式教育」創始者。著書は200冊を超える。